詩吟資料室
詩吟の参考資料 1
吟道精神の参考資料
新設:2011-10-11
更新:2023-09-24
吟道精神



第1段落
朗吟(ろうぎん)邪穢(じゃあい)蕩滌(とうてき)し、飽滿(ほうまん)斟酌(しんしゃく)し、
血脈(けつみゃく)動盪(どうとう)し、精神(せいしん)流通(りゅうつう)し、
()(ちゅう)()(とく)(やしな)って
()(しつ)(へん)(すく)うものなり。

第2段落
吟道(ぎんどう)()(やしな)うの(みち)なり。
(ひと)(せい)()なり。()()くれば()す。

第3段落
正風(せいふう)六合(りくごう)(あまね)く、一聲(いっせい)士氣(しき)(たか)し。
(ぎん)(おわ)りて清風(せいふう)(おこ)る。一吟(いちぎん)(てん)()(こころ)
成文 ・渡邊緑村  
社団法人日本詩吟学院岳風会発行
普及版「吟詠教本」漢詩篇(一)
平成20年3月20日改訂版第2刷掲載の「吟道精神」
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【段落・概要・通釈(その1)】
下掲の【参考文献②】および【参考文献③】による 日本詩吟学院岳風会 および 日本吟道学院の 教材を用いて調整しました。

段落
概容 (岳風会準師範テキストより引用)
通釈 (吟道範典第1巻より引用)
1.第1行目~第4行目
「朗吟は」~
「気質の偏を救うものなり」
『書経』舜典の中にある舜帝の語につけられた孔子の注釈を引用し、朗吟(吟詠)とは、どのようなもので、どのようにあるべきかを説明している。
朗吟は、心のけがれをうち払い、われわれの怠慢や満ち飽きた心を追放し、肉体的にも精神的にも、血脈の流通を疏害するわだかまりを取り除いて、「中和」の人徳を養って気質のかたよることを防ぐものである。
2.第5行目~第7行目
「吟道は気を養うの道なり」~
「気は以て養わざるべからず」
生命の原動力である気についての説明と、その気を養い育むのが吟道であり、「吟道精神」全体の中心がこの語句にあることを銘記すべきです。
吟道は、”気”を養うの道である。”気”は生命の原動力であり、”気”が横溢すれば人の活力は溢れ、おとろえれば気抜けの状態となって遂には生命力をも失なうに至る。
3.第8行目~第9行目
「正風六合に洽く」~
「一吟天地の心」
吟道が盛んになることによって正しい道(正風)が興り、人々の心が天地の純粋な正気と化し、平和な世界がやって来るのである。と吟道を実践することによって現出する世界を述べて結びとしている。
かくして吟道の栄ゆるところ、正しい道があまねくみなぎりわたり、朗吟の声は士気高く朗々と響きわたるであろう。吟じ終ったときのすがすがしさ、思わず清風が吹き起ってくる気分――― これが吟道の神髄である。
【段落・概要・通釈(その2)】
本ページ内に掲げる 【語釈】、 【参考文献(概要)】および【参考文献(詳細)】を参考に 調整しました。

段落
概容
通釈
1.第1行目~第4行目
「朗吟は」~
「気質の偏を救うものなり」
朗吟が、どのようなものであって、どのような効用があるかを、『書経』の舜帝の語(ことば)に孔子が付けたといわれる「注釈」を基に説明しています。
なお、孔子注釈と類似内容が『史記』の「楽書」に記されています。
(詩歌などを声高らかに吟じる)朗吟は、心の中のよこしまで汚れた考えを洗い清め、満ち足りて(反応が)鈍くなった心をほどよく調整します。
朗吟は、血液の流れに適度の刺激を与えて血流を改善し、心には生気をみなぎらせます。
朗吟は、過不足無く偏らない温和な品性(中和の徳)を養い、気だて(気性)が偏るのを防ぎます。
2.第5行目~第7行目
「吟道は気を養うの道なり」~
「気は以て養わざるべからず」
吟道が「気」を養う「道」であり、「気」は自ら養うべきものであること、「気」の衰えは死に至ることを説いています。
「吟道精神」の重要な部分で、孟子が説く「浩然の気」に拠っています。
「吟道」は、心身の根元となる活動力としての「気」を養い育てる「道」です。人の生命(いのち)は「気」の盛衰にかかっています。「気」が衰え尽きてしまうと死に至ります。
「気」は自ら努力して養わないと、盛んになりません。外部から与えられるものではありません。
3.第8行目~第9行目
「正風六合に洽く」~
「一吟天地の心」
正しい道(正風)としての吟道普及により、活力ある吟声が士気を一層高め、清風(すがすがしい心地よさ)が生まれ、吟道の極意に到達する悦びを説いています。
「正しい道」としての「吟道」が 世界の隅々まで浸透すれば、大きな声で朗々と吟じることで、士気がますます高まります。吟じ終ると清々し風が吹き起こり、何ともいえない快い境地(別天地)に導いてくれます。
<注>
  • 第1段落は、「書経」に孔子が付けたといわれる「注釈」を基にして成文化されたとのことです。ただし、一般居住地域の公立図書館で閲覧できる「書経」ないしは「尚書」関連書籍では、当該「注釈」部分を探すのは難しいようです。『史記』の「楽書」には孔子注釈と類似内容が分かれて記されています。参考文献⑤~⑫を参照
  • 第2段落は、「気」を『孟子』公孫丑章句上の第2章(孟子の思想の特徴をよく示す章といわれる)の一部を基に説いています。参考文献⑬、⑭ および ⑩-4を参照
  • 第3段落は、「正風」が「詩経」にある「国風」のうちの「正風」を指すことを承知の上で、「正風」を「吟道」に置き換えた通釈を試みました。なお、「正風」は、戦後、「皇風」から置き換えられたものです。
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語句

語釈
参考辞典①
「新版漢語林第2版」初版第1刷
大修館書店 2001年11月29日発行
参考辞典②
「日本語大辞典」第7刷
講談社 1989年12月22日発行
朗吟
(ロウギン)
詩歌などを声高らかに節をつけて吟詠すること(朗詠)
声高らかに歌う、ほがらかに歌う、朗詠
詩歌などを声高らかに節をつけてうたうこと、朗詠
邪穢
(ジャアイ)
(ジャワイ)
よこしまとけがれ
よこしまとけがれ
邪(ジャ)…ただしくない、ねじけた、よこしま
穢(ワイ・エ・アイ)…①略 ②けがれる、よごれる、けがす、よごす、けがれ、よごれ ③けがらわしい、きたない
蕩滌
(トウテキ)
(トウデキ)
洗い清める
洗い清める
蕩(トウ)…①うごく、うごかす、ゆりうごかす ②略 ③たいらげる、なくしてしまう  ④略
滌(デキ・テキ・ジョウ)…①あらう、すすぐ ②はらう、きよめる、掃除をする
飽滿
(ホウマン)
あき足りる、満ち足りる
①腹いっぱい食べる ②たくさんある、充満する ③あき足りる、満ち足りる
あきるほど食べて腹がいっぱいになること
斟酌
(シンシャク)
人の心中や物事の事情などをくみとってほどよく取捨選択して処置する
①酒などをくむ ②人の心中や物事の事情などをくみとる、また、それらをくみとってほどよく処置すること、手加減 ③[国訓]ひかえめにする、遠慮、辞退
①事情・気持ちを察して手加減すること ②照合して取捨選択すること ③控え目にすること、遠慮
血脈
(ケツミャク)
血液のかよう菅、血管
①血液のかよう菅、血管 ②血筋、血統 ③[仏教語]師から弟子に伝える仏法の伝統、法脈
①血管 ②血統 ③→けちみゃく(血脈)…[仏教語]師から弟子へと伝えた教え、法統、けつみゃく
動盪
(ドウトウ)
よごれをなくしてしまう
盪(トウ)…「一」あらう、洗いすすぐ 「二」蕩①あらう②うごく、動かす③ゆれる(揺)、ゆらぐ④~⑤略 「三」つく(突)、つきあたる
盪(トウ)…①うごく、うごかす、ゆりうごかす ②あらう、そそぐ、よごれをなくしてしまう
精神
(セイシン)
こころ、たましい
①こころ、たましい ②気力、元気 ③生気のあふれていること、生気・光彩があって美しいこと ④意義、理念
①こころ、たましい ②気力、意気、根気 ③物事の根本となる大切な意義・思想・目的 ④哲学で知性や理性の働きをもととした目的を意識している能力
流通
(リュウツウ)
流れてとどこおらなくする
流…②ながす
通…①イ:ゆきわたる(流通)
①流れてとどこおらないこと ②世間に広く通用すること ③略
中和
(チュウワ)
行き過ぎも不足もなくてちょうど良いこと、かたよらないで正しいこと[中庸]
①行き過ぎも不足もなくてちょうど良いこと、かたよらないで正しいこと[中庸] ②異なる性質の物質がとけ合ってもとのそれぞれの特性を失うこと
①かたよらず温和なこと ②違った性質のものが融合してそれぞれの特性を失うこと ③略

(トク)
品性として先天的またはは後天的に身に得ているもの、特にその中の正しくよいもの
①品性として先天的またはは後天的に身に得ているもの、特にその中の正しくよいもの「人徳」 ②品性を向上させるために人の修得すべきもの、道徳、「徳育」 ③~⑫略
①心や行いがただしく立派なこと「人徳」以下略 ②~③略
気質
(キシツ)
人がその身に備えそれが行動を規定する基本的な性質、気だて
①きだて、こころだて、きまえ、気性 ②気から生ずる性質→気質之性 ③[国訓]身分や職業などに相応した気風
①人がその身に備えそれが行動を規定する基本的な性質、気だて ②略

(ヘン)
かたよる、中正でない、公平でない
①かたよる、かたむく ア)一方に寄る、イ)中正でない、公平でない ②かたよった、いなかの、中央からはなれた ③~⑨略
①かたよる、かたむく、不公平 ②略

(キ)
万物生成の根元力、身体の根元となる活動力[孟子、公孫丑上]
①~③略 ④元気、万物生成の根元力、身体の根元となる活動力、[孟子、公孫丑上]我善養吾浩然之気 ⑤ちから、いきおい(活気) ⑥きだて、こころもち(心気) ⑦うまれつき、もちまえ(気質) ⑧~⑫略
①~④略 ⑤心のはたらき、心もち、もちまえ ⑥~⑦略 ⑧中国哲学で存在論上の概念、人間の呼吸の気息つまり生命力をいう
養気
(ヨウキ)
浩然の気を養う[孟子、公孫丑上]
①生物を養い育てる気 ②道家で気力を養うこと、錬気 ③浩然の気を養う[孟子、公孫丑上]
気を養う(キヲヤシナウ)…疲労した気分を休める、心を豊かにする
浩然之気
(コウゼンノキ)
天地間に充満している至大至剛(至って大きく至って強い)の気[孟子、公孫丑上]
天地間に充満している至大至剛(至って大きく至って強い)の気、これが人間に宿って何物にも屈しない道徳的勇気となる、正気、正大の気、[孟子、公孫丑上]我善養吾浩然之気
[『孟子』にある語]①道義に基づく強い精神 ②おおらかでのびのびとした気持ち

(セイ)
いのち(生命)
①いきる、いかす、命がある、命を保つ ②いきながら、いきたままで ③いのち、生命 ④~⑪略
①いきる、いかす、いきている ②~③略 ④いのち(生命)⑤~⑦略
竭(ツ)きる
つきる、なくなる
①つきる、なくなる ②つくす(尽)、あるかぎりを出す ③かれる(渇)、水がなくなる ④やぶれる(敗)、ほろびる(滅) ⑤~⑥略
<解説なし>
正風
(セイフウ)
正しい道
→吟道
「詩経」の国風の周南・召南の二十五編をいう。王道のさかんなときの作といわれる。その他の国風を変風と称し、王道のおとろえたときの作という。
<解説なし>
六合
(リクゴウ)
全世界
天地と四方、天下中(テンカジュウ)、全世界
宇宙の意
洽(アマネ)く
広くゆきわたる
①あまねし、広くゆきわたる(博洽) ②うるおう(潤)、うるおす ③~④略
<解説なし>
士気
(シキ)
最後までやりぬこうという人々の気持
①兵士の意気、戦士の意気 ②最後までやりぬこうという人々の気持 ③略
兵士の戦闘意欲、一般に人々の意気ごみ
清風
(セイフウ)
清らかな風
①清らかなかぜ、すずしい風 ②清らかな風格 ③清らかなならわし
きよらかな風、すずしい風
天地
(テンチ)
別天地
吟道独特の境地
①天と地、あめつち ②非常な違いがあることにいう、雲泥 ③世の中、世界(別天地)
①天と地 ②宇宙 ③上下
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ここに掲げる文献は 「吟道精神」を 理解するための「道しるべ」の一つです。
ご利用に当たっては、参考文献に記されている「まえがき」、「凡例」、「解説」、「語釈」などに直接接することをお勧めします。
文献番号
対象段落
文献概容
  
日本詩吟学院岳風会月刊誌「吟道」
①―1
全段落
平成21年2月号 2~3頁 「吟道精神」自主研修会
①―2
全段落
平成21年3月号 2~4頁 「吟道精神」自主研修会(Ⅱ)
①―3
全段落
平成21年4月号 14~15頁 「吟道精神」自主研修会(Ⅲ)
①―4
全段落
平成21年5月号 3頁 「吟道精神」自主研修会(Ⅳ)
①―5
全段落
平成21年6月号 6頁 「吟道精神」自主研修会(Ⅴ)
①―6
全段落
平成21年6月号 7頁 「緑村のふるさと~生誕地を訪問~」
①―7
全段落
平成20年7月号 18~19頁 「吟道精神」を成文化した渡辺緑村について語る
~熊本 緑村の生誕地・関わりのある方々を訪ねて~
①―8
第1段落
平成16年9月号 巻頭言 「志を聴く」
全段落
「準師範研修講座」改訂第2版 18頁 日本詩吟学院岳風会 平成20年8月1日発行
段落区切りと段落毎の概要 <参照>本頁前々段掲載【段落・概要・通釈(その1)】
全段落
「吟道範典」第1巻 20頁(日本吟道学院教材) 日本詩吟出版局 平成8年5月1日発行
「吟道精神」全体の通釈  <参照>本頁前々段掲載【段落・概要・通釈(その1)】
全段落
「漢詩大講座」第十一巻『研究及び鑑賞』 156~157頁 北原義雄編纂 アトリエ社
昭和11年3月23日発行
渡邊緑村が 「吟道精神」成文化の 主旨・経緯などを 記しています。※《国会図書館で閲覧可》
第1段落
「書經集註 宋蔡沈集傳」 巻一 書經集傳序の一部
「邪穢を蕩滌し、飽滿を斟酌し、血脈を動盪し、精神を流通し、其の中和の徳を養って氣質の偏を救うものなり。」の原文(孔子註)が記されています。 ※《国会図書館で閲覧可》
なお、 サイト「黙斎を語る」のトップページ上の「朱子学の基本となる書」をクリックし、「六經 書經集註」から、「虞書」中の「 舜典」をクリック、「舜典」欄下方で 「原文と読み」を閲覧できます。
第1段落
「漢詩大系」第1巻『詩経上』 14頁 高田眞治著 集英社 昭和52年4月30日第8版発行
孔子註対象原文「詩者志之所之也。在心爲志、發言爲詩」と書き下し文
第1段落
「全釈漢文大系」第11巻 『尚書』 81~82頁 池田未利著 集英社 昭和61年9月30日4刷発行
孔子註対象原文「詩言志、歌永言、聲依永、律和聲」と書き下し文・通釈
第1段落
「新釈漢文大系」第25巻 『書経 上』 43~44頁 加藤常賢著 明治書院 平成14年9月20日15版発行
孔子註対象原文「詩言志、歌永言、聲依永、律和聲」と書き下し文・通釈
第1段落
「新釈漢文大系」第38巻 『史記一(本紀一)』 62~64頁 吉田賢抗著 明治書院 平成2年4月10日20版
孔子註対象類似原文「詩言意、歌長言、聲依永、律和聲」と書き下し文・通釈
第1段落
「新釈漢文大系」第41巻 『史記四(八書)』 吉田賢抗著 明治書院 平成7年5月20日初版
第1段落
29~30頁 孔子註相当一部原文「而萬民咸蕩滌邪穢、斟酌飽滿、以飾厥性」・通釈
第1段落
93~95頁 孔子註相当一部原文「故音樂者所以動盪血脈、通流精神、而和正心也」・通釈
第1段落
66~67頁 孔子註対象原文「詩言其志也。歌詠其聲也。」・通釈
第1段落
62~63頁 類似表現原文「氣衰則生物不育」・通釈
第1段落
「全釈漢文大系」第3巻 『大学・中庸』 206~207頁 山下龍二著 集英社 昭和58年6月20日3刷発行
「中也者天下之大本也。和也者天下之達道也。」と書き下し文・通釈
第1段落
「新釈漢文大系」第2巻 『大学中庸』 204~206頁 赤塚忠著 明治書院 昭和52年3月15日18版発行
「中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。」と書き下し文・通釈
第2段落
「全釈漢文大系」第2巻 『孟子』 103~104頁 宇野精一著 集英社 昭和61年9月30日4刷発行
「敢問、何謂浩然之氣。曰、難言也。其爲氣也、至大至剛以直、養而無害、則塞乎天地之閒。其爲氣也、配義與道。無是餒也。是集義所生者、非義襲而取之也。行有不慊於心、則餒矣。」と書き下し文・通釈
第2段落
「新釈漢文大系」第4巻 『孟子』 95~96頁 内野熊一郎著 明治書院 昭和52年7月15日28版発行
「敢問、何謂浩然之氣。曰、難言也。其爲氣也、至大至剛、以直養而無害、則塞于天地之間。其爲氣也、配義與道。無是餒也。無是餒也。是集義所生者、非義襲而取之也。行有不慊於心、則餒矣。」と書き下し文・通釈
なお、文献⑬と⑭は、サイト「黙斎を語る」のトップページ上の「朱子学の基本となる書」をクリックし、「四書 孟子集註」から、「公孫丑」をクリック、孟子卷之二 公孫丑章句上 欄下方で を閲覧できます。
※《国会図書館で閲覧可》
国会図書館(東京)近代デジタルライブラリーのマイクロフィッシュを「科学技術・経済情報室」設置のA端末にて閲覧可(2011-10-08現在)
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【『詩経』の詩序】
「漢詩大系第一巻『詩経上』 高田眞治著 集英社 昭和52年4月30日 第8版発行」 14頁 詩序の一部 を引用

原文
書き下し文
通釈
( )者志所之也。在心爲志、發( )爲詩。情動於中、而形於言。( )之不足、故嗟嘆之( )
詩は志の()く所なり。心に在るを志と為し、言に發するを詩と()す。情、中に動きて、言に(あら)はる。之を言うて足らず、故に之を()(たん)す。
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【『尚書』 】
「全釈漢文大系第11巻 『尚書』 池田未利著 集英社 昭和61年9月30日 4刷発行」 81~82頁 虞夏書 堯典の一部(26) を引用

原文
書き下し文
通釈
( )曰、虁、命汝典樂、教冑子。( )而溫、寬而栗、剛而無虐、( )而無傲。( )志、歌永言、聲依( )、律和聲。八音克階、無相奪倫、( )人以和。虁曰、於、予撃石拊( )、百獸率舞。
(てい)(いは)く、「()よ、(なんぢ)(がく)(つかさど)り、(ちう)()(をし)ふることを(めい)ず。(ちょく)なるも()(おん)(くわん)なるも()(りつ)(がう)なるも()(そこな)ふこと()く、(かん)なるも()(おご)ること()かれ。 ()(こころざし)()ひ、()(げん)(えい)じ、(せい)(えい)()り、(りつ)(せい)()す。八音(はちいん)()(かい)し、(りん)(あひ)(うしな)ふこと()くんば、神人(しんじん)(もっ)()せん」と。()(いは)く、「(ああ)(われ)(いし)()(いし)()てば、(ひゃく)(じう)(みな)()ふ」( )
( )は(次に楽官を任命せんとして)言うに、「虁よ、なんじに音楽(  )をつかさどり、長子らを教えることを命ずる。(音楽によって性情を(とう)()した結果)正直であるがよく温和であり、寛容(ゆるやか)であるがよく秩序立て、剛強( )であるがよく(人を)損なうことなく、大まかであるが(人に)お( )らないようにしなければならぬ。 (いったい)( )は(人の意)志を表すものであるが、歌は(その詩の)ことばを(うた)うものであり、(その)(うた)(いかた)によて(高低や曲折の五)声をつけ、その(五)声を(六)律(と六呂(りくりょ)と)で調和するのである。(かくして)( )(つの楽器の)音がよく調和( )して、(その)( )序を相失うことがなければ、(これに感応して)( )と人とが和合する(に至る)であろう」と。 ( )が言うに、「ああ、私が(強くまた軽く)(けい)を打ち鳴らしますと、( )獸までもが(これに感じて)みな( )い(だし)ます。」と。
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【『書経』】
「新釈漢文大系第25巻 『書経 上』 加藤常賢著 明治書院 平成14年9月20日 15版発行」 43~44頁 真古文尚書 堯典の一部を引用

原文
書き下し文
通釈
( )曰、「虁、命汝典樂、教冑子。( )而溫、寬而栗、剛而無虐、( )而無傲。 ( )志、歌永言、聲依( )、律和聲、八音克階、無相奪倫、( )人以和。」虁曰、「於、予撃石拊( )、百獸率舞。」
(てい)(いは)く、「()(なんぢ)(がく)(つかさど)り、(ちう)()(をし)ふるを(めい)ず。(ちょく)にして(おん)(くわん)にして(りつ)(がう)にして(そこな)()く、(かん)にして(おご)()かれ。 ()()()ひ、(うた)永言(えいげん)し、(せい)(なが)きに()り、(りつ)(せい)()し、八音(はちいん)()(かい)し、(りん)(あひ)(だっ)する()くして、神人(しんじん)(もっ)()せん」と。()(いは)く、「(ああ)()(いし)()(いし)()ち、(ひゃく)(じう)(よっ)()ふ」と。
( )は〔虁に命じて〕いった、「虁よ、汝に音楽を典り、若( )に教えることを命ずる。〔人の徳は〕正直でしかも温( )であり、寛弘(心ひろやか)でしかも荘栗(そうりつ)(きびしい)であり、剛毅でしかも( )人をしいたげることがなく、大まかでしかも他人に(たか)ぶらない〔ようでなければならぬ〕。 〔また〕( )は志(人が心に思っていること)を言い表し、歌はそれを( )い音にし、〔歌〕( )はその長い音によって〔調子を整え〕、( )律〔六呂〕はその音声を調和させるものだ。( )くて( )音がよく調( )和し、しかも調子はずれになることがなければ、〔( )楽によって〕( )と人とが和合するであろう。」 虁は〔そこで〕( )し上げた、「ああ、わたくしが〔あるいは〕( )〔の楽器〕を〔高〕く撃ち、〔あるいは〕石〔の楽器〕を〔低く〕( )って〔音楽を奏すると〕、百獸までも( )います。」
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【『史記』 本紀】
「新釈漢文大系第38巻 『史記一(本紀一)』 吉田賢抗著 明治書院 平成2年4月10日 20版」 62~64頁の一部 を引用

原文
書き下し文
通釈
( )曰、然。以虁爲典樂、教穉子。( )而溫、寬而栗、剛而無虐、( )而無傲。 ( )意、歌長言、聲依( )、律和聲、八音能階、母相奪倫、( )人以和。虁曰、於、予、撃石拊( )、百獸率( )
(しゅん)(いは)く、(しか)り、と。()(もつ)典樂(てんがく)()し、()()(をし)へしむ。(ちょく)にして(しか)(おん)(くわん)にして(しか)(りつ)(がう)にして(しか)(ぎゃく)する()く、(かん)にして(しか)(おご)()かれ。 ()()()ひ、(うた)(げん)(なが)くし、(こゑ)(なが)きに()り、(りつ)(こゑ)()す。八音(はちいん)()(やはら)ぎ、(りん)(あひ)(うば)ふこと()くんば、神人(しんじん)(もつ)()せん、と。()(いは)く、(ああ)(われ)(せき)()(せき)()てば、(ひゃく)(じう)(ひき)ゐて()わん、と。
( )は、「そうか。よろしい。(虁と龍には別の任を授けよう)」と、いって、虁を( )楽のことをつかさどる典楽( )に任じて、天子から卿大夫にいたるまでの嫡子( )を教えしめた。さらに舜は、言葉をついで「心は(せい)(ちょく)であって、しかも温和を失わない。寛大でしかも謹厳( )でおののくほどにつつしむ。剛毅でしかも暴虐にならないようにす( )簡易( )でさらっとしているが、しかし傲慢( )にならないようにす( )。すべて(かたよ)らないように中庸( )であれ。 ( )は人の志意( )をのべたものであり、歌はその( )を言葉を長くしてうたうものであり、五声は( )を長く( )することによって調い、十二律は音声を調()させるものである。八種の楽器の音がよく調( )して、その( )理を乱すことがなければ、( )も人も、ともにやわらいで( )情が正しくなるだろう」というと、虁は、それをうけて、「( )あ、わたしが、( )の楽器を或は重く打ち、( )は軽く打って、(よく八音( )をおさめれば)もろもろの禽獣も、その調( )和のとえた楽に感じて、こぞって舞い始めるだろう」と、(その( )負を)のべ( )
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⑩-1【『史記』 楽書】
「新釈漢文大系第41巻 『史記四(八書)』 吉田賢抗著 明治書院 平成7年5月20日 初版」 29~30頁 楽書第二の一部 を引用

原文
書き下し文
通釈
( )史公曰、(中略)
( )子躬於明堂臨觀、而萬民咸( )滌邪穢、斟酌飽滿、以飾厥( )
( )下略)
(たい)()(こう)(いわ)く、(中略)
(てん)()(みずか)明堂(めいどう)()いて(のぞ)()て、萬民(ばんみん)(みな)邪穢(じゃわい)蕩滌(とうてき)し、飽滿(ほうまん)(しん)(しゃく)し、(もっ)()(せい)(かざ)る。( )下略)
( )史公言う、(中略)
このとき( )子は自ら明堂に臨んで民をみる。 万民はみな( )子の徳、音楽の化によって邪悪な汚れを洗い去り、( )満な欲望を抑制して人の本性を整え( )しくする。( )下略)
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⑩-2【『史記』 楽書】
「新釈漢文大系第41巻 『史記四(八書)』 吉田賢抗著 明治書院 平成7年5月20日 初版」 93~95頁 楽書第二の一部 を引用

原文
書き下し文
通釈
( )史公曰、夫上古明王擧樂者、( )以娯心自樂、快意恣欲。將欲( )治也。正教者皆始於音。 音正而( )正。故音樂者所以動盪血脈、通流( )神、而和正心也。( )動脾而和正聖、商動肺而和正義、( )動肝而和正仁、徴動心而和正禮、( )動腎而和( )智。故樂所以内輔正心、而( )異貴賤也。上以事宗廟、下( )變化黎庶( )
(たい)()(こう)(いは)く、()(じょう)()明王(めいわう)(がく)()ぐる(もの)は、(もっ)(こころ)(たの)しめ(みづか)(たの)しみ、()(こころよ)くし(よく)(ほしいまま)にするには(あら)ず。(まさ)()()さんと(ほっ)せんとするなり。(をし)へを(ただ)しくする(もの)は、(みな)(おん)(はじ)まる。(おん)(ただ)しくして(おこな)(ただ)し。 (ゆゑ)音樂(おんがく)は、(けつ)(みゃく)動盪(どうたう)精神(せいしん)通流(つうりう)し、正心(せいしん)(やは)らぐる所以(ゆゑん)なり。(ゆゑ)(きゅう)()(うご)かして正聖(せいせい)(やは)らげ、(しゃう)(はい)(うご)かして(せい)()(やは)らげ、(かく)(かん)(うご)かして正仁(せいじん)(やは)らげ、()(しん)(うご)かして正禮(せいれい)(やは)らげ、 ()(じん)(うご)かして(せい)()(やは)らぐ。(ゆゑ)(がく)は、(うち)正心(せいしん)(たす)けて、(そと)()(せん)(こと)にする所以(ゆゑん)なり。(かみ)(もっ)宗廟(そうべう)(つか)へ、(しも)(もっ)黎庶(れいしょ)變化(へんくわ)するな( )
( )史公いう、上古の聖明な王が音楽を奏したのは、それで( )の心をたのしませ自らが楽しんで、気持ちが愉快になり、( )をほしままにするためでなく、それによって社会の平治を( )そうと欲したからである。教化を正しくするには皆音楽から( )まる。その( )が正しくなると行いが正しくなる。 それゆえ、( )楽は人の血脈をゆり動かし、精神を障りなく貫き流れ、正しい心を調和させるので( )る。(きゅう)(しょう)(かく)()()という五音(声)の宮声は、脾臓を動かして正聖に( )し、商声は肺臓を動かして正義に和し、角声は肝臓を( )かして正仁に和し、徴声は心臓を動かして正礼に和し、( )声は腎臓を動かして( )智に和らぎ化するのである。従って楽は、内は己の正しい( )をたすけ、外は貴賤の別を正しく分ける( )きをするものであって、上は宗廟に奏して神霊に( )え、下は庶民にうたわれて人を善化する( )きとな( )
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⑩-3【『史記』 楽書】
「新釈漢文大系第41巻 『史記四(八書)』 吉田賢抗著 明治書院 平成7年5月20日 初版」 66~67頁 楽書第二の一部 を引用

原文
書き下し文
通釈
( )者性之端也。樂者德之華也。( )石絲竹、樂之器也。 詩言其志( )。歌詠其聲也。舞動其容也。三( )本乎心、然後樂氣從( )
(とく)(せい)(たん)なり。(がく)(とく)(くわ)なり。金石(きんせき)()(ちく)は、(がく)()なり。 ()()(こころざし)()ふなり。(うた)()(こゑ)(えい)ずるなり。(まひ)()(かたち)(うご)かすなり。()つの(もの)(こころ)(もと)づき、(しか)(のち)(がく)()(これ)(したが)ふ。
( )は人間性に発するものであるから、性の端緒である。徳の( )象となってあらわるるものが楽であるから、楽は徳の栄( )である。金石糸竹などは音楽の器物である。楽は詩と歌と( )の三つからなるが、 詩は内なる志想を表現する言詞であ( )( )はその声を調子( )につけて表現するものであり、舞はその動く容姿( )でみな徳を表現するものである。この言詞と歌曲と容姿の( )つは心に( )づくもので、心があって志があり、志があって声とな( )、志が( )となって表現されるものだから、志と声と舞の( )つが( )合し、従って楽の気分が生ずる。
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⑩-4【『史記』 楽書】
「新釈漢文大系第41巻 『史記四(八書)』 吉田賢抗著 明治書院 平成7年5月20日 初版」 62~63頁 楽書第二の一部 を引用

原文
書き下し文
通釈
( )敞則草木不長、水煩則魚鼈( )大、 氣衰則生物不育、世亂( )禮廢而樂( )
(つち)(つひ)ゆれば(すなは)草木(さうもく)(ちゃう)ぜず、(みづ)(わづら)はしければ(すなは)魚鼈(ぎょべつ)(だい)ならず、 ()(おとろ)ふれば(すなは)生物(せいぶつ)(そだ)たず()(みだ)るれば(すなは)(れい)(すた)れて(がく)(みだ)る。
土地( )が疲弊すれば草木は生長ぜず、水が乱流すれば魚鼈( )が肥大にならない、 陰陽の氣が衰えるときは生物が成育( )しない。世が乱れるときは、礼は荒廃し楽は( )れる。
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【『中庸』】
「全釈漢文大系」第3巻 『大学・中庸』 山下龍二著 集英社 昭和58年6月20日3刷発行 206~207頁 中庸 5 を引用

原文
書き下し文
通釈
( )怒哀樂之未發、謂之中、發而皆中( )、謂之和。 中也者天下之大本也。和( )者天下之達道( )
喜怒(きど)哀樂(あいらく)(いま)(はっ)せざる、(これ)(ちゅう)()ひ、(はっ)して(みな)(せつ)(あた)る、(これ)()()ふ。 (ちゅう)なる(もの)(てん)()大本(たいほん)なり。()なる(もの)(てん)()達道(たつだう)なり。
( ):漢唐時代らしい古注的解釈》
( )怒哀楽(の情は事によって生ずるが、それ)がまだ発動しない(( )静な)状態を、中といい、発動しても、みな節度にかなっているのを、( )という。 中というものは(情欲がまだ発動せずして、( )の性の( )本であるから)天( )の大本であり、和というものは(情欲が発( )していても、道理に和合していて通達流行しうるから)天下( )達道である。( )

( ):南宋の朱熹(朱子)の注に基づく訳文》
( )怒哀楽(の情)がまだ発動しないのを(それは性であって( )りがないから)中といい、発動してみな節度にかなうのを、(それ( )情の正しいものであってもとることがないから)和という。 ( )というのは、天下の大本(すなわち、( )命の性であって、天下の( )はみなここから出て来る、道の本体)である。和というのは天( )の達道(すなわち、性に従う意であって、天下古今のものがみな( )れによって行う、道の働き)である。( )
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【『中庸』】
「新釈漢文大系」第2巻 『大学・中庸』 赤塚忠著 明治書院 昭和52年3月15日 18版刷発行 204~206頁 中庸 第一段第二節 を引用

原文
書き下し文
通釈
( )怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中( )、謂之和。 中也者、天下之大本也。和( )者、天下之達道( )致中和、天地位焉、萬物育( )
(以上、朱子章句第一章)
喜怒(きど)哀樂(あいらく)(いま)(はっ)せざる、(これ)(ちゅう)()ふ。(はっ)して(みな)(せつ)(あた)る、(これ)(くわ)()ふ。 (ちゅう)なる(もの)は、(てん)()大本(たいほん)なり。(くわ)なる(もの)(てん)()達道(たつだう)なり。(ちゅう)(くわ)(いた)して、(てん)()(くらゐ)し、萬物(ばんぶつ)(いく)す。
( )て人の行ないは、物ごとにふれて、感情の動きとなることから( )まるが、その感情が)喜・怒・哀・楽などとなって外に表われる( )(に、心の平正さがあるべきである、)それを中という。この( )( )われると(その行ないは)、すべて物ごとの( )度に合致する( )とになる、これを和という。 (だから)中こそは、天下(が秩序正しく( )まるため)の大根本である。和こそ天下(に)あま( )く(実現すべき)( )である。(このようにして)中と和とを実( )しつくせば、(人間世( )ばかりでなく)全宇宙の秩序がいささかのくるいもなくなり、あり( )あらゆるものがその生長をとげて、(全宇宙が繁( )するのである( )
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【『孟子』】
「全釈漢文大系」第2巻 『孟子』 宇野精一著 集英社 昭和61年9月30日 4刷発行 103~104頁 公孫丑章句上の第2章の一部を引用

原文
書き下し文
通釈
( )問、夫子惡乎長。曰、我知言。我( )養吾浩然之氣。 敢問、何謂浩( )之氣。曰、難言也。其爲氣也、( )大至剛以直、養而無害、則塞( )天地之閒。其爲氣也、配義與( )。無是餒也。是集義所生者、非義( )而取之也。行有不慊於心、則餒( )我故曰、( )子未嘗知義。以其之外( )
(あへ)()ふ、(ふう)()(いずく)にか(ちゃう)ぜる」と。(いは)く、「(われ)(げん)()る。(われ)()()浩然(かうぜん)()(やしな)ふ」と。 (あへ)()ふ、(なに)をか浩然(かうぜん)()()ふ」と。(いは)く、「()(がた)きなり。()()()るや、()(だい)()(がう)(もっ)(ちょく)(やしな)うて(がい)すること()ければ、(すなは)(てん)()(あひだ)(ふさ)がる。()()()るや、()(みち)とに(はい)す。(これ)()ければ()う。()(しふ)()(しゃう)ずる(ところ)(もの)にして、()(おそ)うて(これ)()るに(あら)ざるなり。(おこな)(こころ)(こころよ)からざること()れば、(すなは)()う。(われ)(ゆゑ)(いは)く、『(こく)()(いま)(かっ)()()らず』と。()(これ)(ほか)にするを(もっ)てなり。
( )なはだ差し出がましいお尋ねでありますが、先生は何が( )得意であられますか」 孟子「私は人の言を知ることができ、( )が浩然の気を養うことができる」 「なおお尋ねいたします( )、いったい浩然の気とは、どういうものでございます」 ( )( )「ことばでは( )明しにくい。が、ま、その気というものは、いたって( )、いたって剛、そして直、害することなく養っていけば、( )大なる天地の間にも充満するほどのものだ。また、その気( )いうものは、義と道とに( )合するもので、もし道義がなければ飢えてしぼんでしまう。( )まりこの気は、内に義を集積した結果、生ずるものであって、( )にある義が入り込んできて浩然の気ができる、な( )というもの( )はないのだ。( )分の行為に何か心にやましいことがあると、その気は飢えてし( )う。だから、( )子はまったく義をしらぬ、と私はいうのだが、それ( )彼が内なる義を外のものとしているからで( )る。
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【『孟子』】
「新釈漢文大系」第4巻 『孟子』 内野熊一郎著 明治書院 昭和52年7月15日 28版発行 95~96頁 公孫丑上の第2章 の一部 を引用

原文
書き下し文
通釈
( )問、夫子惡乎長。曰、我知言。我( )養吾浩然之氣。 敢問、何謂浩( )之氣。曰、難言也。其爲氣也、( )大至剛、以直養而無害、則塞( )天地之間。其爲氣也、配義與( )。無是餒也。是集義所生者、非義( )而取之也。行有不慊於心、則餒( )我故曰、( )子未嘗知義。以其之外( )
(あへ)()ふ、(ふう)()(いずく)にか(ちゃう)ぜる、と。(いは)く、(われ)(げん)()る。(われ)()()浩然(かうぜん)()(やしな)ふ、と。 (あへ)()ふ、(なに)をか浩然(かうぜん)()()ふ、と。(いは)く、()(がた)きなり。()()たるや、()(だい)()(がう)(ちょく)(もっ)(やしな)うて(がい)すること()ければ、(すなは)(てん)()(あひだ)(ふさ)がる。()()たるや、()(みち)とに(はい)す。(これ)()ければ()う。()(しふ)()(しゃう)ずる(ところ)(もの)にして、()(おそ)うて(これ)()るに(あら)ざるなり。(おこなひ)(こころ)(こころよ)からざること()れば、(すなは)()う。(われ)(ゆゑ)(いは)く、(こく)()(いま)(かっ)()()らず、と。()(これ)(そと)にするを(もっ)てな( )
( )孫丑がいう、「しいてたずねますが、先生は告子に比べ( )、どういう点でまさっていますか。」と。孟子がいうに、「私は善く( )人の言葉を理解するし、又私は善く吾が浩然の気を養( )ものである。(この二つは告子にないところで、自分はこれ( )よって不( )()心を得たのである。)」と。公孫丑が言う、 「なお( )いておたずねしますが、浩然の気とは、どういうものですか。」( )。そこで、孟子がいうに、「それはなかなか説明しにくい。その( )というの( )、この上( )く大きく、この上なくつよいもので、正しい道を以てこれを養い、( )こなうことがなければ、この気はますますひろくゆき渡り、天地( )間に一ぱいにみちるようになる。この気たる( )のは、正義と人( )とに( )合されてあるものであって、( )してそれとはなればなれになるこ( )は出来ない。もし義と道から離れれば、気は飢えて、( )( )出来なくなってしまう。この気というのは、たくさんの道義の( )ないがかさなって後、自然に生じて来るものであって、一時( )に義が( )からやって来て、その義をちょっと行なったら、もうすぐ( )然の気が( )られる、というようなものではない。人の行為において、道義を( )いたために、何か心に不( )足なことがあれば、この浩然の気は( )えてしまう。(このように、自分の心の中に、道義を( )みかさねて( )くのこそ、浩然の気を得るもとであるのに、告子は、ただ心を( )すことばかり( )れて、義を行なって気を養うことを努めない。)故に( )分は、『告( )はまだかって義というものを知らない。』と言うのだ。なぜならば、彼は( )というものを、わが心の( )にあると思わず、身の外にあるもの、としているからである。( )
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吟道精神   
朗吟(ろうぎん)邪穢(じゃあい)蕩滌(とうてき)し、飽滿(ほうまん)斟酌(しんしゃく)し、
血脈(けつみゃく)動盪(どうとう)し、精神(せいしん)流通(りゅうつう)し、
()(ちゅう)()(とく)(やしな)って
()(しつ)(へん)(すく)うものなり。
吟道(ぎんどう)()(やしな)うの(みち)なり。
(ひと)(せい)()なり。()()くれば()す。
()(もっ)(やしな)わざるべからず。
正風(せいふう)六合(りくごう)(あまね)く、一聲(いっせい)士氣(しき)(たか)し。
(ぎん)(おわ)りて清風(せいふう)(おこ)る。一吟(いちぎん)(てん)()(こころ)


左に掲げる「吟道精神」は、昭和34年(1959)~昭和36年(1961)、日本詩吟学院総本部発行「第一~第四皇漢名詩の吟じ方」に掲載の「吟道精神」です。その写真を下に掲げます。

この「吟道精神」は、日本詩吟学院岳風会の現行教本と実質同一内容です。上記1行目と2行目のアンダーライン2箇所の「て」を「、」に換えただけで、「日本詩吟学院岳風会」の現行教本掲載「吟道精神」となっています。

日本吟道学院の教材(「吟道教典」・「吟道範典」)に掲載の「吟道精神」には、左に掲げる「吟道精神」が掲載されています。
「第一皇漢名詩の吟じ方」掲載の「吟道精神」
第一皇漢名詩の吟じ方
19頁掲載「吟道精神」
昭和34年12月10日発行
「第二~三皇漢名詩の吟じ方」掲載の「吟道精神」
第二皇漢名詩の吟じ方 第三皇漢名詩の吟じ方
11頁掲載「吟道精神」
昭和36年3月3日 同15日発行
「第四皇漢名詩の吟じ方」掲載の「吟道精神」
第四皇漢名詩の吟じ方
3頁掲載「吟道精神」
昭和35年4月30日発行
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