詩吟資料室
詩吟の基礎資料
渡邊緑村の略年譜ほか
新設:2023-09-24
更新:2024-06-04

渡邊 緑村
(わたなべ りょくそん)
1889-1951(明治22-昭和26)
熊本県甲佐町出身


漢籍から言葉を採って
吟道精神・吟詠唱和の詞を成文化
教育吟詠の創唱者


本名は幸吉
緑村は号で 郷里の緑川に因んだもの


問い合わせ先
渡邊緑村の略年譜 
坂本坦道著『道一貫』のうち「渡辺緑村先生小伝」を基に調整
区分 西暦 和暦 年令
数え
事 項
誕生 1889 明治22  1才 3月28日 父・渡邊親助 母・サトの長男として 熊本県甲佐町に生まれ 幸吉と命名された
幼年時代 1897 明治30  9才 甲佐小学校に入学し 卒業まで首席であった
1905-1906 明治38-39 17-18才 中学済々黌に入学し 2年のとき渡米を志すも身体検査不合格のため断念 時の代議士渡辺啓昌 その天稟を惜しみ東京に伴い 杉浦重剛の日本中学に学ばせたが 後 志すところがあって明治学院に転校 卒業後も独学
青年時代 1912 明治45 24才 台湾に渡り 台湾小学校商業科英語教師を務めた
1913 大正2 25才 上京 下高井戸に農場を開き 高円寺に皇風寮(学生塾)設け 約10年 法大生ら青年と農耕に勤しみ 塾教育に注力 また 出生地甲佐町の清流「緑川」に因んで「緑村」と号し始めた
北海道巡講時代 1925 大正14 37才 11月 北海道開拓功労者で 郷土の先輩である太田竜太郎(当時胆振国状督村長)宅を本拠に 札幌・小樽・旭川・室蘭・由仁・栗山・三川・岩見沢・追分等各地で講演し 吟道普及に尽力 併せて 西郷南州翁五十年記念事業の吟詠講習・大会開催推進
1926 大正15 38才 1月 旭川に約2ヶ月滞在し 近くの愛別村等の青年に吟詠指導→本格的「教育吟詠」指導開始
1928 昭和3 40才 5月 旭川を再訪 約1ヶ年半にわたり 旭川近郊の永山・東旭川・愛別・当麻・安足間等の諸村 石北一帯・上川方面の青壮年心魂浄化に尽力
1926-1929 大正15
-昭和4
38-41才 (推定 1925-1928頃に)「日本漢詩吟詠会」を設立
1929(昭和4)に「皇風会」を設立 菊地武夫男爵を会長に 塩沢健を理事長とし 渡邊・山田・宇田川・中頭が理事に就任 平沼騏一郎男爵・荒木貞夫大将等を顧問に迎え 教育吟詠による国民強化運動展開への基礎を築いた
熊本他吟詠活動 1929 昭和4 41才 9月 日本漢詩吟詠会主催「第1回吟詠大会」を熊本市公会堂で開催し 教育吟詠普及に尽力
11月 皇風会熊本支部発足し 第1回吟詠大会を熊本大神宮で開催
11月 熊本市下通町に居を定め 皇風健児舎を創設し4才~15才の男女を入舎させ吟詠訓練
この熊本における吟詠熱が全九州に拡がり 優秀な吟詠実践家を多く排出した
1930 昭和5 42才 福岡県では 教育会長・白坂栄彦が詩歌集を作り 県下の中等教員呼びかけ渡邊緑村が指導
1930年(昭和5)からは井原辰夫が緑村の代理講師として指導者養成講習会を月2回開催
1931 昭和6 43才 6月 旭川に2週間滞在し 吟詠普及活動
昭和戦前東京圏吟詠活動 1932 昭和7 44才 1928(昭和3)二松学舎の山田準学長の招聘に応じ 熊本との兼任で二松学舎専門学校(現二松学舎大学)の不定期的講習であったが 全国的視野から教育吟詠を強力に展開するため上京し 1932(昭和7)4月以降 正式に講師依頼を受け 吟詠部員に対し定期的に熱烈指導
5月以降 次の各学校等の吟詠部で教育吟詠指導 日本大学・同皇風会日大支部・大東文化学院・大正大学・早稲田大学・國學院大學・皇風会東京支部他
9月 熊本の井原辰夫令姉静香と結婚し新宿の柏木に居を定め 併せて第2次皇風寮を開設
1933 昭和8 45才 8月 八聖殿全国大会開催に際し 八聖殿を建立した安達謙蔵(漢城)の良き相談相手となり 開催準備に奔走し 全国各派各流の宗家宗範を一同に集め大会を成功に導いた この大会が契機となり大日本吟詠連盟が誕生
11月 皇風会学生連合吟詠大会開催
1934 昭和9 46才 11月 日本学生吟詠連盟結成と同記念吟詠大会
1937 昭和12 49才 6月 大日本連合青年団発行「青年カード」6月号に「青年と吟詠」を掲載し 「詩歌吟詠の綱領」の中で 後に「吟道精神」とも呼ばれる吟詠研修開始時に唱和する(漢籍から採った)「吟詠唱和の詞」を紹介
終戦前後 1945 昭和20 57才 3月末 東京大空襲の影響と持病(ヘルニア)の手術を受けるため 郷里の甲佐町に疎開
疎開後 熊本の病院で手術を受け 抜糸した日の夜に空襲で病院は延焼 奇跡的に「九死に一生」命拾いし 甲佐に戻って終戦を迎えた
1946 昭和21 58才 3月と6月に上京し 東京と近県の状況を調査して甲佐に帰郷後 甲佐の同志と図り 引揚げ者の援護を目的とする社会事業を興したが 道義実践的社会事業の精神が理解されず失敗
戦後の吟詠活動 1948 昭和23 60才 5月 道義実践運動を興すべく上京 在京の同志が道義実践会を結成し 毎月1回会合を吟詠月例研修会を兼ねて開催
10月 「道義実践会」の名称を「緑村吟詠会」と改め 吟道の実践による道義高揚運動として毎月第3日曜に例会を持つことにした
1949 昭和24 61才 6月2日 在京の同志が集って 還暦祝として 明治神宮暁天参拝と祝賀の宴を開催
11月20日 還暦記念・吟友慰霊吟詠大会を京橋鉄砲洲神社で開催
1950 昭和25 62才 4月 息女の高校入学を機に 家族が熊本甲佐から上京し 鉄砲洲神社仮寓を経て 杉並区上井草に居を構えた
11月4日 安達謙蔵3年祭を兼ねた追悼慰霊の 安達謙蔵先生追悼記念全国吟詠大会が社会事業会館で開催されたとき 本大会提起者本田トヨ女史を助けて大会運営に当たり 吟界大御所多数の出吟を得 往時の八聖殿大会を髣髴させる盛会となった かかる全国的規模の吟詠大会は戦後初であった
1951 昭和26 63才 吟詠行脚などにより 1952(昭和27)2月23日に衆議院本会議で決議された「東洋精神文化振興に関する決議」に向けた 漢文運動者の糾合に尽力
秋 阪神地方同志の招聘に応じ吟詠普及と在京門人の裁判問題解決のため 神戸地方に数回出張奔走し ほぼ目的を達成して帰京の翌日(12月30日)夕刻 脳溢血で倒れた
1952 昭和27 64才 1月 家族親戚門弟同志の1週間にわたる介護の甲斐なく 1月5日未明 不帰の客となった
没後 1952 昭和27 没後 0年 1月6日 上井草の自宅で仮葬
1月8日 鉄砲洲神社で吟詠葬
10月 緑村の吟詠精神を記念するため 緑村吟詠会が新撰吟詠詩歌集を発行
1955 昭和30 没後 3年 10月 緑村吟詠会が教育吟詠詩集を発行
1956 昭和31 没後 4年 10月14日 渡邊緑村墓碑建立除幕式(谷中霊園)
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渡邊緑村先生の墓碑(谷中霊園)


渡邊緑村の墓碑(大きな自然石で やや右に傾き気味)
中央に「吟聖 渡邊緑村先生之碑」と大きく彫られ
左に小さく「従二位勲一等荒木貞夫書(花押)」と刻まれている
碑の両脇に植えられた樹木が目印になる 背景は民家
撮影:2024-04-12
渡邊緑村の墓碑に至る通路(乙4号6側と7側の間)
右側奥に緑村の墓碑が見え 左側やや奥に宮城道雄の墓所
上野桜木の言問通りから谷中霊園に進み 左側最初の角を曲がり
右側2つ目の角からの石畳通路が終わる辺り左側で撮った写真
徳川慶喜墓の南方約40mの位置にある 撮影:2024-04-12
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大日本連合青年団発行「青年カード」昭和12年(1937)6月号に掲載された 渡邊緑村著「青年と吟詠」のうち「詩歌吟詠の綱領」の一部を引用(但し 坂本坦道著『道一貫』に転載の同遺稿を利用)
私は吟詠の前に行事として、漢籍から言葉を採って、
吟詠は邪穢(じゃあい)蕩滌(とうてき)し、飽満を斟酌(しんしゃく)し、
血脈を動盪(どうとう)し、精神を流通し、
其の中和の徳を養ふて、
其の氣質の偏を救ふものなり。
また之に附して、
吟詠は気を養ふの道なり。
人の生や気なり。気()くれば死す。
気は以て養はざるべからず
又、
正気六合に(あまね)し。一声士気高し。
吟じ終りて清風起る。一吟天地の心。
を唱和するを常として居る。
【参考】
緑村吟詠会Webサイトに2023年9月16日現在掲載されていたもの


吟詠唱和の詞  
練習の始めと終わりに正座瞑想して唱和する

吟詠は邪穢(じゃあい)蕩滌(とうてき)し、飽満(ほうまん)斟酌(しんしゃく)し、
血脈を動盪(どうとう)し、精神を流通し、
其の中和の徳を養うて、
其の気質の偏を救ふものなり。

吟詠は気を養ふの道なり。
人の生や気なり。気()くれば死す。
気は以て養はざるべからず。

正気六合(りくごう)(あまね)し。一聲士気高し。
吟じ終りて清風起こる。一吟天地の心。

渡邊緑村創輯   
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【参考】
社団法人日本詩吟学院岳風会発行
普及版「吟詠教本」漢詩篇(一)
平成20年3月20日改訂版第2刷掲載の「吟道精神」より

吟道精神   

朗吟(ろうぎん)邪穢(じゃあい)蕩滌(とうてき)し、飽滿(ほうまん)斟酌(しんしゃく)し、
血脈(けつみゃく)動盪(どうとう)し、精神(せいしん)流通(りゅうつう)し、
()(ちゅう)()(とく)(やしな)って
()(しつ)(へん)(すく)うものなり。
吟道(ぎんどう)()(やしな)うの(みち)なり。
(ひと)(せい)()なり。()()くれば()す。
()(もっ)(やしな)わざるべからず。
正風(せいふう)六合(りくごう)(あまね)く、一聲(いっせい)士氣(しき)(たか)し。
(ぎん)(おわ)りて清風(せいふう)(おこ)る。一吟(いちぎん)(てん)()(こころ)

成文 ・渡邊緑村  
【参考】
日本詩吟出版局 平成8年5月1日発行
発音及解説付「吟道範典第1巻」20頁掲載の「吟道精神」より


吟道精神
朗吟指導の前に 全員によって唱和する  

朗吟(ろうぎん)邪穢(じゃあい)蕩滌(とうてき)して飽滿(ほうまん)斟酌(しんしゃく)し、」
血脈(けつみゃく)動盪(どうとう)して精神(せいしん)流通(りゅうつう)し、」
()(ちゅう)()(とく)(やしな)って」
()(しつ)(へん)(すく)うものなり。』
吟道(ぎんどう)は」()(やしな)うの(みち)なり。」
(ひと)(せい)()なり、」()()くれば()す。」
()(もっ)(やしな)わざるべからず。』
正風(せいふう)六合(りくごう)(あまね)く、」一声(いっせい)士気(しき)(たか)し。」
(ぎん)(おわ)りて清風(せいふう)(おこ)る。」一吟(いちぎん)(てん)()(こころ)。』
[註]
』」の区切りごとに まず師範が唱え 続いて全員で繰返すこと
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Web上にみられる緑村流吟詠団体のリストです(2023-09-20調査)

緑村流吟詠団体名称
次のURLからWEBサイトにリンク
摘 要


緑村吟詠会



吟聖・渡邊緑村が創設した会である
漢詩吟詠による社会教育を目的とする
伝統が長く 吟調は魂魄に迫るものがある
東京に複数の教室を開設
Webサイトに 沿革 吟詠唱和の詞 他を掲載


緑村流緑山吟詠会


京都に複数の教室を開設


緑村流緑龍吟詠会


教育吟詠の創設者故渡辺緑村の吟風を継承
同 吟詠精神と吟調を基調とする

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